きづきあきら「モン・スール」 人の側面とジレンマ
◆独特な「痛さ」
ヨイコノミライ、いちごの学校等で様々な話題を呼んだきづきあきら先生の処女作「モン・スール」を読みました。何を今更な感じもしますが、あまりにも心にガーンとくるものがあるのでこの作者の漫画を読む度に妙な気分に陥ってしまうんですよね。「痛い」と表現されるこの漫画ですが痛いって言うか言語化不可能な不可思議な気持ちになるのがこの漫画の良いところと言えばよいのかわかりませんが、この漫画を読んで私のような複雑な気分になる方は大半じゃないでしょうか?
大好きなゲームのエンディングを終えた時の脱力感や、エヴァやなるたる等のセカイ系作品の終焉に絶句する感覚に似てると言えばある意味似ているかもしれませんが、これとはベクトルが測りきれないほど違うんですよね。
◆二面性
この漫画で一番の課題は二面性だろうか。簡単にいえば、善悪の二面性といってもいい。家族の前での自分、好きな人の前での自分。その二つの自分を他人からの視点ではどう映っているのか?その二面性による人との鬩ぎ合い、触れ合いがキャラクター毎に様々な形で描かれているのだ。そして、人の持つ意外な面に接して主人公は心に大きなキズを負う。大きく、永遠に癒えない様な深い傷を。
◆それでも何だろうと家族は「家族」
主人公池内柾樹とその妹美波、友人の神田三人が主な登場人物。
主人公の家は、両親が離婚し挙句の果てに父親まで出て行ってしまうというこれまたテンプレ化した設定である。
ある日、生活費のために出張のバイトに行くのだが、帰ってきて見たものは――

妹は親友に抱かれていた。小学4年生の妹が。それも家族同様の親友に。
ちなみにオビには「小学生は、人を好きになっちゃいけないの?」と書いてあったのですが、これが伏線だったと思えば処女作でありながらぶっ飛び過ぎ飛ばしすぎフライングすぎです。この脳内で核爆発が起きるような事件に柾樹は当然の如くブチ切れ。
信じていた親友に妹の貞操を奪われ、そして蒸発した父親との再会等鬱エピソードが満載である。これがきづきイズムか。
中でも一番ダメージが大きいのは父親蒸発の真相か。主人公の父親に対する何気ない発言が少しずつ主人公と父親の間の壁を大きくしていたこと、それ故妹の心にもジワジワと傷が付いていったこと。そんな妹に優しく振舞ってくれる神田の優しさに心を惹かれ、一時的な快楽に溺れる妹(小4)。そして、それを今まで他人の仕業にしていたが、実は全て自分の責任だと気付いた柾樹は疑心が疑心を呼び、今にも雛見沢症候群になってしまいそうな程病んでしまう。

おめー誰だよ
柾樹は知らないのだ。妹のもう一つの面を。
この漫画の途中にこんな話がある。羽化しようとしている黒アゲハの羽を伸ばそうと手伝ったが、それが原因で体液が行き届かず結局飛ぶことができなくなってしまうというものだ。これは柾樹と妹の事そのまんまなのである。妹を守ろうという一心により、逆に妹の可能性を奪ってしまう結果がまさにコレだ。所詮仮面だけの兄を気取る事は簡単だし、ぬるま湯に浸かる事は気持ちもいい。
だがその結果が妹は自分から逃げ出し、自分は自分から逃げ出すというなんとも皮肉な結果なのである。
そして、ラストシーンにおいて妹と黒アゲハが描かれているのだが、これもまた先ほど述べた伏線を上手く処理しているので出来は処女作とは思えないほど上出来だろう。これからもきづきあきらを読んでドップリ鬱に溺れたいものだ。






